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登山の知識、アプリのアップデート情報、YAMATOMOの最新ニュースをお届けします。

ニルマル・プルジャの死——「14座189日」の男はなぜブロードピークで逝ったのか

2026年7月30日、8,000m峰14座を189日で登り切った男は、頂上ではなく標高6,600m付近の通常ルートで亡くなりました。ニルマル・プルジャ氏(43)は、パキスタンのブロードピークで第2キャンプと第3キャンプの間を移動中に雪崩に流…

登山装備の進化200年史——バルマの木の杖からGORE-TEXまで

現代の登山者は、軽量で防水透湿性に優れたジャケット、グリップ力抜群のソール、体にフィットするザックを当たり前のように使っています。しかし、こうした装備が揃うまでには200年以上にわたる試行錯誤の歴史がありました。

シェルパの歴史——ヒマラヤ登山を支えた民族

「シェルパ」という言葉は、ヒマラヤ登山のニュースでよく耳にします。しかし、シェルパが単なる職業名ではなく、固有の民族名であることは意外と知られていません。

「なぜ山に登るのか」——登山哲学の変遷

人はいつから山に登り始めたのでしょうか。近代登山が始まるはるか以前から、世界中の文化で山は神聖な場所として崇められてきました。日本では富士山、立山、白山が「三霊山」として信仰の対象となり、修験道の行者たちは険しい山中での修行を通じて悟りを求…

植村直己——冒険家が追い求めた「極地」

植村直己(うえむら なおみ)は、1941年2月12日、兵庫県城崎郡国府村(現・豊岡市)に農家の7人きょうだいの末っ子として生まれました。少年時代は特に目立つ存在ではなかったといいますが、明治大学に進学して山岳部に入部したことが、彼の人生を大…

田部井淳子——女性初のエベレスト登頂者

田部井淳子(たべい じゅんこ)は、1939年9月22日、福島県田村郡三春町に生まれました。10人きょうだいの末っ子として育った田部井は、小学4年生のときに学校行事で那須連峰の茶臼岳に登ったことがきっかけで山に魅了されます。自分の足で歩くこと…

日本山岳会の誕生——明治の登山家たちが目指したもの

現在の私たちにとって、登山はスポーツや趣味として当たり前の存在です。しかし明治時代の日本では、山に登ることの意味はまったく異なっていました。

槇有恒とアイガー東山稜初登攀——日本人が拓いたアルプス未踏ルート、1921年の偉業

槇有恒(まき ゆうこう/ありつね、1894〜1989)は、日本の近代登山史において最も重要な人物の一人です。1921年にアイガー東山稜(ミッテルレギ稜)の初登攀を成し遂げ、1956年にはマナスル(8,163m)遠征隊の隊長として日本初の8,…

日本アルプスの父 ウォルター・ウェストン——日本の山を世界に紹介した英国人宣教師

上高地のバスターミナルから梓川沿いに歩いていくと、川のほとりに一枚のレリーフが目に入ります。穏やかな表情で山を見つめる紳士の横顔——これがウォルター・ウェストン(Walter Weston, 1861〜1940)の碑です。

アイガー北壁——「死の壁」攻略の歴史

スイス・ベルナーアルプスにそびえるアイガー(標高3,970m)。ユングフラウ、メンヒとともに「ユングフラウ三山」を構成するこの山の北側には、高さ約1,800mにおよぶ巨大な岩壁がそそり立っています。これがアイガー北壁(Eigernordwa…

女性登山家の先駆者たち——ダンジュヴィルからワークマンまで

18世紀から19世紀にかけて、登山は男性だけに許された行為だった。ヴィクトリア朝の社会規範は、女性が激しい運動をすることは健康を害し、女性としての品位を損なうと考えていた。コルセットに長いスカート、重い下着——当時の女性の「正装」は山岳地帯…

K2初登頂——「非情の山」に挑んだイタリア隊の栄光と闇

K2、標高8,611メートル。世界第2位の高峰でありながら、登山の世界ではエベレストをはるかに凌ぐ恐怖の山として知られている。パキスタンと中国の国境に位置するカラコルム山脈の盟主は、「Savage Mountain(非情の山)」の異名を持つ…

マッターホルン初登頂と悲劇——ウィンパーの栄光と代償

アルプス山脈の盟主、マッターホルン(標高4,478m)。スイスとイタリアの国境に屹立するこの山は、天を突き刺すようなピラミッド型の山容で世界中の登山家を魅了し続けてきた。スイス側の麓にはツェルマット、イタリア側にはブレイユ=チェルヴィニアの…

エベレスト初登頂——ヒラリーとテンジン、1953年の栄光

1953年5月29日午前11時30分。標高8,849メートル、世界最高峰エベレストの頂に、ふたりの人間が立ちました。ニュージーランド出身の養蜂家エドモンド・ヒラリーと、ネパール出身のシェルパ、テンジン・ノルゲイ。この瞬間は、30年以上にわた…

モンブラン初登頂の物語——バルマとパカール、1786年の挑戦

1786年8月8日。フランス・シャモニーの町で、人々は望遠鏡を覗き込んでいました。ヨーロッパアルプス最高峰モンブラン(標高4,808m)の山頂に、ふたつの小さな人影が立ったのです。水晶取りのジャック・バルマと、医師のミシェル=ガブリエル・パ…

アンナプルナ初登頂——人類が初めて立った8000m峰、1950年の代償

標高8,000メートルを超える山は、地球上に14座しかありません。その「デスゾーン」に人類が初めて足を踏み入れたのはいつか——答えは、エベレストでもK2でもなく、1950年6月3日のアンナプルナでした。

ナンガ・パルバット初登頂——ブール単独行、41時間の死闘

8000m峰の初登頂はほぼすべて、大規模な遠征隊が段階的にキャンプを積み上げて達成されました。ところがただ一座だけ、最後の頂上アタックをたった一人で成し遂げた山があります。ナンガ・パルバット——そして、その男の名はヘルマン・ブールです。

ナンダ・デヴィ初登頂——8000m時代の前夜、人類最高到達点の記録

8000m峰の時代が始まる前——人類が到達した最高地点は、8000mに届かないひとつの山にありました。インド・ヒマラヤのナンダ・デヴィ(7,816m)です。

メスナー、エベレスト単独無酸素——1980年、究極の登山

1953年のエベレスト初登頂は、約400名の大遠征隊と酸素ボンベに支えられた総力戦でした。それから27年後、一人の男がまったく逆のことをやってのけます。仲間なし、酸素ボンベなし、固定ロープなし。ラインホルト・メスナーによる、エベレスト単独無…

剱岳「点の記」——1907年、測量隊が挑んだ「登頂を拒む山」の謎

富山県、北アルプス北部にそびえる剱岳(2,999m)は、岩と雪に鎧われた峻険な姿から、古くは「登ってはならない山」として恐れられてきました。その剱岳に近代測量の手が初めて入ったのが、1907年(明治40年)の陸地測量部・柴崎芳太郎隊です。

マナスル初登頂——日本人が初めて立った8000m峰、1956年の歓喜

戦後まもない日本に、山の頂からひとつのニュースが届きました。1956年5月9日、日本隊がマナスル(8,163m)に初登頂。日本人が初めて8000m峰の頂に立った瞬間でした。

デナリ初登頂——1913年、北米最高峰に最初に立ったのは先住民の青年だった

北米大陸の最高峰、アラスカのデナリ(6,190m)。極北の地に立つこの巨峰の頂に、人類が初めて立ったのは1913年6月7日のことでした。

日本の登山史年表——信仰登山から近代登山へ

「日本人はいつから山に登っていたのか」という問いに、一言で答えることはできません。なぜなら「登山」という行為の意味が、時代ごとにまったく異なっていたからです。修験者が山を「修行の場」として踏んだ時代、富士講の信者が「霊峰に詣でる」ために列を…

小島烏水——日本山岳会を作った男

「日本山岳会」という名前を聞いたことがある人は多いでしょう。1905年(明治38年)に設立されたこの組織は、日本における近代登山の礎を作ったと広く言われています。しかしその創設者の名前、小島烏水(こじま うすい)を知っている人は、登山愛好家…

加藤文太郎——単独行の先駆者の生涯

「単独行」という言葉を登山の文脈で聞いたとき、多くの人が加藤文太郎の名前を思い浮かべます。1905年に兵庫県浜坂(現・美方郡新温泉町)に生まれた彼は、正式な登山教育を受けることなく独学で山を学び、1930年代の日本アルプスで前人未踏に近いル…

松濤明——風雪のビヴァークの遺書

「松濤明」と検索する人の多くは、槍ヶ岳・北鎌尾根で命を落とした若い登山家が、最後のビヴァーク(野外露営)の中で何を書き残したのか、そしてなぜその言葉が七十年以上たった今も読み継がれるのかを知りたいのだと思います。

長谷川恒男——アルプス三大北壁冬季単独登攀が問いかけるもの

「アルプス三大北壁」という言葉を耳にしたことがあるでしょうか。アイガー北壁、マッターホルン北壁、グランド・ジョラス北壁——この三つをひとりで、しかも冬季に登り切った唯一の登山家が、日本人の長谷川恒男(はせがわ つねお、1947–1991)で…

山野井泰史——現代最強クライマーの歩み

山野井泰史という名前を、登山に関心を持ち始めた人でも一度は耳にしたことがあるかもしれません。日本のアルパインクライミング界を代表する存在として、国内外の登山メディアや専門家から繰り返し言及されてきた人物です。「現代最強クライマー」という言葉…

竹内洋岳——日本人初の14座完登

「日本人初の14座完登」という言葉を目にしたとき、多くの人はまず「14座とは何か」を知りたいと思うはずです。14座とは、地球上に8,000メートルを超える独立した山が14峰あることを指し、エベレスト(8,849m)からシシャパンマ(8,02…

今井通子——女性初のアルプス三大北壁

「今井通子」という名前を検索する人の多くは、「女性初のアルプス三大北壁完登」という言葉をどこかで目にしたのではないでしょうか。アルプス三大北壁とは、ヨーロッパアルプスの中でも特に困難とされるアイガー・マッターホルン・グランドジョラスそれぞれ…

深田久弥と日本百名山——選定の裏側

「日本百名山」という言葉を聞いたとき、多くの登山者はまず山の一覧を思い浮かべます。しかし深田久弥がこのリストを作ったとき、彼の念頭にあったのは「登りやすさ」でも「標高の高さ」でもありませんでした。選定には明確な基準があり、その基準は今日の登…

ジョージ・マロリー——「そこに山があるから」の真相

「なぜエベレストに登るのか」と問われたマロリーは、「そこに山があるから(Because it's there)」と答えた——この言葉を一度は耳にしたことがあるはずです。登山を語るとき、あるいは何かに挑む理由を説明するとき、この短いフレーズは…

エドワード・ウィンパー——アンデスとアルプスの画家登山家

エドワード・ウィンパー(1840–1911)という名前を聞いたとき、多くの人が最初に思い浮かべるのはマッターホルン初登頂(1865年)と、その直後に起きた下山中の滑落事故でしょう。しかし彼の生涯を一つの事件だけで語るのは、あまりにも惜しいこ…

ラインホルト・メスナー——無酸素登山の思想

「酸素ボンベなしで8,000メートル峰に登れるのか」という問いは、1970年代の登山界にとって単なる記録への挑戦ではありませんでした。それは、人間がどこまで自分の力だけで自然に向き合えるかという、哲学的な問いでもありました。ラインホルト・メ…

ウーリー・ステック——スピードクライミングの革命

「スイス・マシン」と呼ばれたクライマーがいます。ウーリー・ステック(Ueli Steck)は、アルプスの難壁をまるで機械のように精密に、そして驚異的な速さで登り続けたことでその異名をとりました。彼の名前を検索する人の多くは、「どれほど速く登…

ニルマル・プルジャ——14座を6か月で登った男

2019年、ネパール出身のニルマル・プルジャ(Nirmal "Nims" Purja)は、地球上に14ある標高8,000メートル超の山すべてに登頂しました。かかった日数は189日、約6か月あまりです。それまでの最速記録は約7年11か月でした…

エベレストの商業登山史——誰でも登れる山になるまで

「お金を払えばエベレストに登れる」という言葉を耳にしたことがある方は多いでしょう。実際、現代のエベレストには毎シーズン数百人が挑み、そのほとんどが商業登山隊の一員として頂上を目指します。しかし、この状況が生まれたのはここ数十年のことです。か…

1996年エベレスト大量遭難——何が起きたか

1996年5月10日から11日にかけて、エベレスト南東稜(サウスコルルート)で嵐が発生し、複数の登山隊が下山中に直撃を受けました。この一連の出来事で、その山行シーズンだけで15名が死亡し、うち8名が5月10〜11日の嵐に関連した死亡でした。…

ナンガ・パルバットの悲劇の歴史——ドイツ隊の執念

「ドイツ人の山」と呼ばれるナンガ・パルバットは、ヒマラヤの8,000メートル峰の中でも特異な歴史を持ちます。1930年代から50年代にかけて、ドイツ・オーストリア合同隊が繰り返しこの山に挑み、多くの命を失いました。その数は初登頂(1953年…

K2の2008年遭難——11人が亡くなった日

2008年8月1日から2日にかけて、世界第2位の高峰K2(標高8,611m、パキスタン)で登山史に残る大規模な遭難が起きました。複数の国際隊が同じルートに集中するなか、山頂直下の雪氷地形が崩壊し、一連の事故で11人の命が失われました。死者の…

谷川岳の遭難史——なぜこの山でこれほど多くの命が失われたのか

「世界一遭難者の多い山」という言葉を、谷川岳について読んだことがある人は多いでしょう。この表現はギネス世界記録にも記録されたとして広く流通しており、累積の遭難死者数は800人を超えるとされています。ただし、この数字の定義(どの範囲のルートを…

トムラウシ山遭難事故——2009年の教訓

2009年7月16日、北海道・大雪山系のトムラウシ山で、ツアー登山パーティーが低体温症により複数名の死者を出す大規模遭難事故が起きました。夏山シーズン、ガイド付きツアー、整備されたルートという条件下で起きたこの事故は、「なぜ」を問い続けるこ…

八甲田雪中行軍——1902年の遭難が教えること

1902年(明治35年)1月、青森県の八甲田山系で日本陸軍第八師団の歩兵第五連隊が雪中行軍演習を実施し、210名以上が死亡しました。これは平時における世界最大級の山岳遭難として記録されています。当時の軍の記録や後世の研究によって、なぜこれほ…

立山の歴史——信仰の山から観光の山へ

「立山はいつから登られていたのか」「なぜあれほど多くの人が訪れる山になったのか」——そう問う人に対して、この記事は立山の歴史を信仰・開発・観光という三つの軸で整理します。単なる年表ではなく、今の立山の姿がどのような力学で形作られてきたかを理…

上高地の歴史——ウェストンと開発、そして保護へ至る道

「上高地はいつ、どのようにして今の姿になったのか」——この問いを持って訪れる人は少なくありません。梓川の清流と穂高連峰の眺めは、ただ自然のままに残ったわけではなく、信仰・外国人登山家・乱開発・保護運動という幾つもの力がぶつかり合った末に形づ…

山岳映画の楽しみ方——登山者の視点で作品を選ぶ基準

「登山者が見るべき山岳映画」を調べると、洋邦さまざまな作品名が並びます。しかし「名作10本」という括り方には問題があります。映画の評価は鑑賞者の経験や目的によって大きく変わるため、ランキングで一律に並べることには根拠が乏しいからです。

山岳小説の選び方——登山前後に読む一冊を見つける手引き

「山岳小説のおすすめを知りたい」と検索する人の多くは、次に登る山を決めた直後か、登り終えた余韻の中にいます。そのタイミングで手に取った一冊は、山そのものへの見方を変えることがあります。