エドワード・ウィンパー(1840–1911)という名前を聞いたとき、多くの人が最初に思い浮かべるのはマッターホルン初登頂(1865年)と、その直後に起きた下山中の滑落事故でしょう。しかし彼の生涯を一つの事件だけで語るのは、あまりにも惜しいことです。ウィンパーはもともと木版画の職人として訓練を受けた画家であり、山を記録するために歩き始め、やがて当時誰も登れなかった頂を目指すようになりました。
この記事では、彼がどのような動機と方法で山に向き合ったか、アルプスとアンデスで何を試み何を学んだか、そして「画家であること」が登山家としての彼の判断にどう影響したかを整理します。ウィンパーの歩み方を知ることは、現代の登山者が「なぜ記録するか」「準備とはどういうことか」を考えるひとつの手がかりになります。
画家として山へ入った理由
ウィンパーが最初にアルプスへ渡ったのは1860年、20歳のときです。目的は登山ではなく、出版社から依頼された山岳スケッチの制作でした。当時、木版画は書籍や雑誌の挿絵を担う主要な印刷技術であり、ウィンパーはロンドンで父のもとに弟子入りし、その技術を身につけていました。
現地で実際に山の稜線や岩壁を前にしたとき、彼は「正確に描くには登らなければわからない」という判断に至ります。遠景のスケッチと、岩の質感や傾斜を間近で観察することとは、まったく別の情報量をもたらします。この職人的な動機——「見たものを正確に再現したい」——が、彼を次第に難しいルートへと向かわせた原動力でした。
画家として訓練された目は、地形の観察に直接役立ちます。稜線の輪郭を描き分ける習慣は、ルートの可能性と障害を視覚的に整理する能力と重なります。ウィンパーが遠征記や技術書に残した挿絵は、単なる装飾ではなく、地形・気象・装備の状態を記録する一次資料としての性格を持っています。
マッターホルンへの7回の挑戦
マッターホルン(標高約4,478m)は1865年以前、「登頂不可能」とみなされていました。ウィンパーは1861年から同山を繰り返し試み、1865年の成功まで計7回の挑戦を行っています。
注目すべきは、彼が毎回の失敗を詳細に記録し、次の試みにどう活かすかを考えていた点です。どのルートが岩の崩壊しやすい帯にあるか、どの季節に雪の状態が安定するか、どのパーティ構成が機能するか——これらを観察し記述する姿勢は、画家として現場を記録する習慣と切り離せません。
1865年7月14日の初登頂は、イタリア側から挑んだ別パーティとの事実上の競争という形をとりました。ウィンパー隊はイギリス人登山者、スイス人ガイドを含む7名で構成されましたが、頂上からの下山中にロープが切れ、4名が滑落死するという悲劇が起きます。この事故は登山史上最も広く知られた山岳事故のひとつであり、ウィンパー自身がその後の人生で繰り返しこの日について記述・証言を求められました。
事故の原因については当時から諸説あり、ロープの品質、ガイドの判断、パーティ内の経験格差などが議論されました。現代の視点から見ても、この事故は「登頂成功後の下山局面でリスクが集中する」という山岳安全の本質的な問いを提起しています。山での判断は頂上に立った瞬間で終わらない——ウィンパーの事例はその点を、非常に重い形で示しています。
アンデス遠征——高所順応の先駆的観察
マッターホルン登頂から16年後の1880年、ウィンパーはエクアドルのアンデスへ遠征します。目的はチンボラソ(約6,263m)をはじめとする複数の高峰への登頂でした。この遠征でウィンパーが残した最も重要な貢献のひとつは、高度に伴う身体症状——現在「高山病」と呼ばれる現象——の体系的な観察と記録です。
彼と同行したカレルら(マッターホルンのガイドも務めたジャン=アントワーヌ・カレルの縁者)は、高所での頭痛・嘔吐・呼吸困難・判断力の低下を繰り返し経験しました。ウィンパーはこれらの症状を「山の空気の希薄さ」に結びつけて考察し、症状の軽減には高度への慣れ(順応)が必要だと論じました。当時の登山界では高山病の機序は十分に理解されておらず、ウィンパーの観察はその後の高所生理学の議論に貢献したとされています。
アンデスでの観察が示すのは、登山家ウィンパーが単に頂を踏むことだけを目的としていなかった点です。遠征の成果を書籍『エクアドルのアンデスにおける旅と登山』(1892年)にまとめ、地形・植生・地質・身体反応を含む包括的な記録として残しました。これは探検家・博物学者としての側面を持つ仕事であり、画家としての観察眼が科学的な記録を支えた好例です。
記録すること、準備すること——現代の登山者への接点
ウィンパーの仕事から現代の登山者が引き出せる視点は、大きく二つあります。
記録を残す習慣の価値:ウィンパーは失敗したルート、気象の変化、身体の変調を細かく記録しました。現代でいえば、登山記録を残す行為がこれに当たります。記録は次の山行の判断材料になるだけでなく、自分のペースや体調のパターンを把握する道具になります。
準備の多層性:ウィンパーはアンデス遠征にあたり、気象・地形・ガイドの選定・装備の調達を入念に行いました。高山病への意識も、実際に症状を経験して以降は遠征計画に反映されています。「登れるかどうか」だけでなく「何が起きうるか」を想定して準備する姿勢は、彼の失敗と成功の両方から学べるものです。
一方で、マッターホルンの悲劇は「競争心がリスク判断を歪める」という警告でもあります。別パーティとの競争を意識した登頂判断が、パーティの規模や構成の再考を難しくした可能性は否定できません。現在の登山でも、「先行パーティがいるから」「天気が崩れる前に」という外部圧力が引き返す判断を遅らせることがあります。ウィンパーの経験は、その問いを自分自身に向けるきっかけとして有効です。
ウィンパーを知るための一次資料
ウィンパーが残した書籍は、彼自身の文章と挿絵で構成された一次資料として現在も参照できます。代表的なものを以下に挙げます。
- 『アルプス登攀記(Scrambles amongst the Alps)』(1871年)——マッターホルン挑戦の経緯を詳述した代表作
- 『エクアドルのアンデスにおける旅と登山(Travels amongst the Great Andes of the Equator)』(1892年)——高所観察と登山記録を含む遠征記
- 同書の補遺(Supplementary Appendix)——高山病に関する詳細な観察が収録されています
いずれも英語原文は古典籍として公開されており、日本語訳の一部は国内の山岳図書館や大学図書館で閲覧できる場合があります。
次の行動
ウィンパーの遠征記を読む前に、まず自分自身の登山記録を振り返ってみてください。失敗したルート、予定を変えた理由、感じた体調の変化——それらを書き留める習慣が、次の山行の判断精度を上げます。高山域を計画している場合は、高山病の一般的な対処方針について医師や山岳専門医に相談しておくことをおすすめします。YAMATOMOの登山記録機能を使って記録をつけることも、長期的な習慣づくりの一助になります。
参考資料
- Edward Whymper, *Scrambles amongst the Alps in the Years 1860–69*(初版1871年)
- Edward Whymper, *Travels amongst the Great Andes of the Equator*(初版1892年)
- 日本山岳会・山岳図書館所蔵資料(国内閲覧可能な山岳文献として)
- 警察庁「山岳遭難の概況」(遭難統計の参照先として)