著者 YAMATOMO 編集部 公開日 約7分で読めます

小島烏水——日本山岳会を作った男

小島烏水——日本山岳会を作った男(イメージ)

「日本山岳会」という名前を聞いたことがある人は多いでしょう。1905年(明治38年)に設立されたこの組織は、日本における近代登山の礎を作ったと広く言われています。しかしその創設者の名前、小島烏水(こじま うすい)を知っている人は、登山愛好家のあいだでも決して多くはありません。

小島烏水は1873年(明治6年)に生まれた文人であり、銀行員であり、登山家でした。俳句・漢詩・山岳文学に通じ、山を「登るもの」として語った最初期の日本人のひとりです。彼がいなければ、日本の登山文化はまったく異なる形で発展していたかもしれません。この記事では、烏水がどのような人物で、何を成し遂げ、現代の登山者にとってどんな意味をもつのかを整理します。

「山に登る」ことが特別だった時代

烏水が活躍した明治後半は、山が宗教的な対象から「スポーツ・探検の対象」へと変わりはじめた過渡期でした。富士山や御嶽山への信仰登山は江戸時代から盛んでしたが、「景色や達成感のために山頂を目指す」という発想は、当時の日本社会ではまだ一般的ではありませんでした。

この時期に大きな影響を与えたのが、1888年(明治21年)に来日したウォルター・ウェストンをはじめとする外国人登山家たちです。彼らは日本アルプスを次々と踏破し、その記録を欧米へ発信しました。烏水はウェストンの著作を読み、同時代のヨーロッパ山岳文化にも精通していました。「日本人自身が、自国の山を登山の対象として語らなければならない」という意識が、彼の行動の根底にありました。

日本山岳会の創設——五人の集まりから始まった

1905年10月、烏水は仲間とともに東京で日本山岳会を立ち上げます。最初の発起人はわずか数名で、発足当初の会員数も非常に少ないものでした。それが今日まで続く組織の出発点でした。

烏水が創設に際して重視したのは、山岳情報の共有と記録の蓄積です。会の機関誌『山岳』(現在も刊行が続いています)は創設翌年から発行され、登山記録・地形情報・気象の観察などを系統的に収めました。当時は地図の精度も低く、山の情報は個人の経験と口伝に頼る部分が大きかったため、記録を文字に残すこと自体が登山の安全と普及に直結していました。

会の設立にあたって烏水は、単なる「登山好きの集まり」を超えた目的を掲げました。山岳科学の研究、登山技術の向上、そして山の魅力を社会に伝えること——この三つは、現代の登山コミュニティが担っている役割とほぼ重なります。

文筆家・烏水が残したもの

烏水のもうひとつの顔は、山岳文学の書き手です。代表的な著作『日本アルプス』(全四巻)は、山域ごとの地形・ルート・自然・歴史を丹念に記述した労作で、後の登山者・研究者・文筆家に広く参照されました。彼の文体は詩的でありながら観察が細かく、山の情景を読んで「行きたい」と思わせる力がありました。

烏水が意識的に行ったのは、山を「高尚なもの」として語ることでした。当時の日本社会では、山に入ることは猟師・修験者・木こりの仕事であり、趣味として山を歩くのは物好きか外国人と見られていました。彼はヨーロッパのアルピニズムの思想と日本の山岳信仰・自然観を結びつけながら、「山に登ることには意味がある」という価値観を言葉で打ち立てようとしました。

この姿勢は、山岳雑誌・登山ガイドブック・SNSの山行記録まで連なる「山を語り、伝える」文化の原点のひとつと言えます。

烏水が直面した限界と批判

烏水の業績を語るとき、同時代の批判にも目を向けておく必要があります。彼は登山の普及に努める一方で、「山岳会は知識人・文化人のものである」という雰囲気を強く持っていたとも指摘されます。初期の日本山岳会は、入会のハードルが実質的に高く、職業・学歴・人脈による偏りがありました。

また、烏水自身はヨーロッパのアルピニズムへの傾倒が強く、日本の山岳信仰や修験道の伝統を「前近代的なもの」として距離を置く傾向があったとも言われます。信仰登山の長い歴史の上に近代登山が乗っかっていることへの評価は、後の研究者によって改めて掘り起こされています。

こうした限界は、烏水個人の問題というより、明治近代化という時代の文脈の中で生じたものです。それでも彼の試みがなければ、日本の登山文化は組織的な基盤をもつのにさらに長い時間がかかったでしょう。

烏水の遺産を現代で読む

烏水が残した問いは、今も有効です。「なぜ山に登るのか」「登山の記録をどう残し、次の世代に伝えるか」「山を愛する人たちをどうつなぐか」——これらは、SNSやコミュニティアプリが当たり前になった現代でも、登山者が繰り返し向き合うテーマです。

烏水の著作は現在、国立国会図書館のデジタルアーカイブで多くが公開されており、原文を読むことができます。明治の登山家が何を見て、何を考え、何を伝えようとしたかを一次資料から辿ることは、現代の登山を相対化するうえで得るものが多いです。また、日本山岳会は現在も活動を続けており、会の歴史に関する資料は同会の公式窓口で確認できます。

山岳文学という視点から烏水に関心をもったなら、同時代の高頭仁兵衛(登山地図の整備に尽力した人物)や、後の時代の深田久弥(『日本百名山』の著者)との比較も、日本登山史を立体的に理解する助けになります。

次の行動

烏水の著作に触れる最初の一歩として、国立国会図書館デジタルコレクションで「小島烏水」を検索すると、当時の原文にアクセスできます。日本山岳会の設立経緯や現在の活動については、日本山岳会の公式情報で確認してください。登山の記録を残し仲間とつながることに関心があれば、YAMATOMOの登山記録共有やコミュニティ機能も活用してみてください。

参考資料

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