登山後に皮膚を確認したとき、黒い小さな点が動かずに食い込んでいる——それがマダニです。蚊のように刺してすぐ離れるのではなく、数日間にわたって吸血し続けることがマダニの最大の特徴です。問題は痛みがほとんどなく、気づかないまま放置してしまうことにあります。
マダニそのものより怖いのは、感染症のリスクです。マダニは「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」「ライム病」「日本紅斑熱」など、複数の感染症の原因となる病原体を持つことがあります。すべてのマダニが病原体を持つわけではありませんが、刺されてから数週間は体調の変化に注意が必要です。
この記事では、刺された場合の正しい対処手順、やってはいけない取り外し方、そして感染症の初期症状と受診のタイミングを中心に解説します。刺される前の予防についても、山での行動に合わせた実践的な観点でまとめます。
マダニはどこにいて、いつ危険か
マダニは日本全国の山地・森林・草地に生息しています。特に植生が豊かな低〜中標高帯の登山道脇の草むらや、藪を漕ぐルートで接触しやすい傾向があります。季節は春から秋にかけて活動が活発で、夏の終わりから秋(9〜11月)も油断できません。2026年10月現在の時期は、気温が下がりつつあってもマダニが活動している地域があります。
マダニは歩行中に草や低木の葉先で待ち構え、通りかかった動物や人に付着します。付着してすぐ刺すのではなく、皮膚の薄い場所——脇の下、股の内側、膝の裏、首回り、耳の後ろ——へ移動してから吸血を始めます。この「移動時間」があるため、行動後早めに全身を確認することが早期発見につながります。
刺されないための準備——服装と行動
マダニ対策の基本は、肌の露出を減らすことです。半袖・半ズボンで藪の多い登山道を歩くのは避け、長袖・長ズボンを着用します。靴下はズボンの裾の中に入れて隙間を作らないようにします。帽子も有効です。
衣類の色は明るい色(白や薄い色)にすると、付着したマダニを早めに発見できます。ただし山での視認性や日差しとの兼ね合いもあるため、部位を限定してインナーや手袋だけ明るい色にするのも一つの方法です。
虫除けスプレーはマダニにも一定の効果があります。成分「ディート(DEET)」または「イカリジン」を含む製品が市販されています。塗り残しやすい足首・手首・首まわりを中心に使います。衣類への使用の可否は製品ごとに異なるため、ラベルを確認してください。
行動面では、登山道から外れた草むらや藪に不必要に入らないことが最も単純な予防です。休憩場所も、草の上より岩の上や設置されたベンチを選ぶと接触機会を減らせます。
下山後の確認手順
マダニを早期に発見するには、下山後できるだけ早く全身を確認します。山小屋泊の場合は、その日の行動後に確認する習慣をつけてください。
確認のポイントは次のとおりです。
- 脇の下・股の付け根・膝裏・足首:皮膚が薄く暖かい場所を好む
- 耳の後ろ・首まわり・頭皮:帽子を脱いだ後に鏡や他の人に確認してもらう
- 背中・お尻:自分では見えないため、同行者に確認してもらう
吸血前のマダニは1〜3mm程度と小さく、皮膚に食い込んでいると黒いほくろのように見えることがあります。吸血が進むと丸く膨らんで数mmから最大1cm近くになることがあります。触れたとき皮膚から離れないなら、マダニの可能性があります。
刺されていたときの対処——やってはいけないこと
刺されているマダニを見つけたとき、多くの人が直感的に取ろうとします。しかしやり方を誤ると、感染リスクが上がったり、体の一部が皮膚内に残ったりします。
やってはいけない取り外し方
- 素手で引っ張る:マダニの体液が傷口に逆流する可能性があります。素手での作業は避け、手袋やティッシュで保護してください
- ライターや火で炙る:マダニが興奮して体液を注入するリスクがあります
- アルコールや石鹸を塗って窒息させようとする:同様の理由で避けてください
- ねじりながら引き抜く:口器が千切れて皮膚内に残る原因になります
正しい対応
マダニ専用の除去器具(ティックリムーバーと呼ばれるフック型またはペンチ型の道具)が市販されています。使い方はマダニの口元にフックを当て、ねじらずに垂直に引き上げます。この道具を携行しているガイドや山小屋スタッフもいます。
道具がない場合や自信がない場合は、自分で取り除こうとせず、皮膚科または外科を受診してください。医療機関であれば適切に除去できます。刺されてから時間がたっていても、病院を受診するのが最善の選択肢です。
取り除いた後は、傷口をよく洗い、除去した日時と刺されていた部位を記録しておきます。後で症状が出たときに、医師へ伝える情報として役立ちます。
感染症の初期症状と受診のタイミング
マダニに刺されたすべての人が感染症を発症するわけではありませんが、刺された後2〜3週間は体調の変化に注意します。以下の症状が現れた場合は、マダニに刺された可能性を医療機関に伝えたうえで、速やかに受診してください。
- 発熱(38度以上)、倦怠感、頭痛
- 刺された部位周辺の赤みや発疹が広がる(特にライム病では輪状の赤みが特徴的とされます)
- 消化器症状(吐き気、嘔吐、下痢)
- 意識がぼんやりする、強い筋肉痛
SFTSは致死率が一定程度あるとされる重篤な感染症で、現時点では有効な抗ウイルス薬が確立していないため、早期の対症療法が重要です。「熱が出たけど疲れのせいだろう」と様子を見るのではなく、刺された事実があるなら受診の判断を早めてください。受診の際は「いつ・どの山で・どの部位を刺されたか」を伝えます。
医療機関での診断・治療の詳細は医師の判断によります。感染症に関する最新の情報は、厚生労働省や各都道府県の保健所の公式情報を確認してください。
マダニ関連感染症を正しく怖がるために
「マダニ」と聞くと強い不安を覚える方もいますが、山を歩く全員が刺されるわけではなく、刺されたからといって必ず感染症になるわけでもありません。正しい予防と早期発見・早期対処の知識を持つことが、不必要な恐怖を減らす最善の方法です。
知識として持っておきたいのは、「感染リスクは吸血時間が長いほど高まる可能性がある」という点です。早期発見・早期除去が重要とされる根拠はここにあります。下山後すぐに全身を確認する習慣は、装備の手入れや靴底の泥落としと同じように、山行後のルーティンに組み込むことをおすすめします。
次の行動
今シーズンの山行前に、虫除けスプレーとティックリムーバーを装備リストに加えてください。同行者がいる場合は、下山後にお互いの背中や首まわりを確認し合う習慣を決めておくと、見落としを減らせます。刺された後の受診に備え、かかりつけ医または近隣の皮膚科・外科の連絡先を山行前に確認しておくことも有効です。
参考資料
- 厚生労働省「マダニ対策、今できることを始めましょう」
- 国立感染症研究所「重症熱性血小板減少症候群(SFTS)」関連情報
- 農林水産省「野外での感染症予防(マダニ)」