「今年はドングリが豊作らしいから、クマは山にいる」——この安心は、半分しか当たっていないと考えます。2025年度のツキノワグマの出没は5万801件、クマ類による死者は13人。いずれも環境省の速報値(2026年9月9日更新)で、過去最多です。そして2026年、東北のブナは豊作予測。数字だけを追えば「今年は落ち着く年」に見えます。ただ、豊凶は毎年上下する振れ幅にすぎません。その下には、分布と個体数、里山、学習という三つの層があります。2026年9月時点の資料で、引き金と層を分けて見ていきます。
出没5万件、死者13人——2025年度に起きたこと
2025年度のクマ類による人身被害は216件・238人、死者13人。出没件数の5万801件はツキノワグマの数字で、ヒグマの北海道と、調査対象外の九州7県・沖縄県を除いた都府県の集計です(千葉県も数値掲載なし)。前年度の2万513件の約2.5倍。秋田県1万3,592件、岩手県9,739件と、出没は一様に増えたのではなく、東北に集中して増えました。
季節も偏ります。環境省の月別速報では、2025年度の人身被害は10月が78件・89人で突出し、死者13人のうち7人もこの月でした。ただし山はひとつではありません。同省の資料は出没件数について「6月をピークに減少し、10月に再び増加する傾向の年が多い」としています。初夏にも山があり、凶作の年はそこに秋の山が重なります。
そして、場所です。環境省が2023年度のツキノワグマによる人身被害を発生場所別に整理した資料では、9月から12月の被害の約3〜6割が「人家周辺」でした。秋の被害の多くは、人が山に入って遭ったのではなく、クマが人の生活圏に入ってきて起きています。
凶作が動かすのは、その年の振れ幅だけです
秋の出没を年ごとに左右するのは、ブナやミズナラなどブナ科堅果類(いわゆるドングリ)の実りです。宮城県はブナ17地点、ミズナラ8地点で毎年同じ木の果実を双眼鏡で数え、3段階で評価しています。県は、ブナは大豊作の翌年に必ず大凶作になると言われ、ブナとミズナラがそろって凶作となる年に大量出没が起きやすいと考えられる、と説明しています。
豊作の翌年に凶作が来るのは、窒素が足りなくなるからだと分かってきました
では、なぜ豊作の翌年は落ち込むのか。森林総合研究所などの研究は、ブナの結実豊凶を制限しているのが樹体内の窒素だと突き止めました。従来は貯め込んだ炭水化物の収支で説明されてきましたが、同位体解析では、種子をつくる炭素はその年の光合成でまかなわれていました。一方で豊作の年には、樹冠全体の葉をつくるのとほぼ同量の窒素が種子に配分されます。その結果、翌年の花芽をつくるための窒素が足りなくなります。豊作は、翌年の凶作を自分でつくっている——それがブナという木の仕組みです。
ただし、豊作そのものが2年おきに巡るわけではありません。東北森林管理局は2026年7月、岩手県のブナを11年ぶりの「豊作」と予測しました。11年ぶりという間隔が示すとおり、豊作は地域ごとに数年から十数年の幅をおいて訪れます。秋田県林業研究研修センターの和田覚氏は2025年12月の取材に「27年はまた、凶作になる可能性が高い」と述べ、豊作の年を「1年の猶予」と呼びます。巡っているのは振れ幅で、その中心がどの高さにあるかは、豊凶の予報からは分かりません。
「ドングリ」は分類名ではなく、ブナ科の堅果をまとめて呼ぶ通称です。県の調査でも樹種ごとに豊凶は別々に判定されます。「ドングリが不作」という情報は、どの樹種の、どの地域の話なのかを確かめる価値があります。
分布はこの15年で広がり、里山という緩衝帯は薄くなりました
ここからは年ごとの引き金ではなく、水位の話です。環境省生物多様性センターの分布調査で、2003年度の分布メッシュ数を100とすると、2018年度は中国地方270、近畿169、東北134、関東126。中国地方は15年で約2.7倍に広がった計算です。ただし全国一律ではなく、四国だけが88と縮み、九州の個体群はすでに絶滅したとされています。環境省の資料は四国の個体数を20頭程度としており、2025年度に環境省や四国森林管理局などが実施した調査でも、確認できたのは27頭。「増えすぎ」と「絶滅寸前」が同じ国に同居しています。
環境省の資料は、面積と並べて標高の変化にも注意を向けています。拡大は低標高域で起きており、資料はそれを「クマ類が人の生活圏に近づいていることを示している」と書いています。宮城県の推定個体数は2008年度のヘアトラップ調査で中央値633頭、2024年度は2,783頭。手法が変わり単純比較はできませんが、桁がひとつ上がっています。
同時に、人の側は退きました。かつての里山は薪炭や落ち葉を採るために人が絶えず入り、見通しの利く緩衝帯でした。手が入らなくなれば雑木が繁茂し、人口減少と高齢化で見回る目も減ります。狩猟免許の所持者は1975年度の約52万人から2012年度の約18万人まで減り、その後やや持ち直して2021年度は約21万人。2020年度時点では60歳以上が約6割です。下げ止まってはいても、担い手が最盛期に戻る見通しは立っていません。クマが降りてきたというより、人と山の境界線のほうが先に上がってきた、と言うべきではないでしょうか。
人を恐れないクマは、人里で生まれています
最後の層は学習です。森林総合研究所東北支所の大西尚樹氏は、nippon.com のインタビューで「アーバンベア」を、人間の生活圏のそばで生まれ育ち、人間の存在を当然のように受け入れている個体だと説明しています。車の音や人の気配が生まれたときからの日常で、人に追われた経験がなければ、人は危険として学習されません。
制度も動きました。2025年9月施行の改正鳥獣保護管理法により、人の日常生活圏にクマが侵入し、他の方法では迅速な捕獲が難しく、住民に弾丸が到達するおそれがない場合に限って、市町村の判断で「緊急銃猟」ができるようになりました(環境省のガイドラインは2026年4月改訂)。一方で日本自然保護協会は2025年12月2日の声明で、短期には生活圏にいる個体の捕獲、中期には科学的な個体数管理とゾーニング、そして里山の回復を並行して進めるよう求めています。捕獲か保護かではなく、どの層に手を入れるかという議論に変わりつつあります。
まとめ:恐れる相手ではなく、構造の相手として見る
ドングリの豊凶は年ごとの引き金で、その下に三つの層があります。分布と個体数という水位、里山の消失という経路、人慣れという学習です。豊作の年に出没が減っても、水位と経路と学習は残ります。「今年は豊作だから安心」と読むのは、引き金だけを見て層を見ていないことになります。
登山者にとっての意味は、山と里で逆になります。山ではこちらがクマの生活圏に入る側なので、音を出す、明け方と夕方を避ける、見通しの悪い沢筋や藪で不用意に立ち止まらない、食べ物の匂いを残さないという原則がそのまま効きます。逆に登山口の集落、駐車場、下山後に歩く道は、クマが人の生活圏に入ってきている場所です。2023年度の9〜12月には人家周辺での被害も多く、登山の前後に通る集落でも注意が必要です。柿の木の下や藪の際で長く立ち止まらない、日没後は歩かない——この判断は山の中よりも里に近い場所でこそ必要です。
その日どこで何を見たかという記録は、次にそこを歩く人の判断材料になります。YAMATOMO でも目撃情報を共有できますが、手段は何であれ、「いつ・どこで・何を見たか」が残っていることに意味があると考えます。変えられるのは構造ではなく、自分がどの層の中を歩いているかを知って動くことのほうです。
参考資料・出典
- nippon.com「クマ出没件数、25年度は5万件突破―環境省集計」
- 環境省「クマ類の生息状況、被害状況等について」
- 環境省「R07年度におけるクマの人身被害件数[速報値](月別)」
- 環境省「クマ類、カモシカの生息分布調査の結果について」
- 環境省「種別狩猟免許所持者数」
- 森林総合研究所「ブナ種子の豊凶は窒素が鍵」(第3期中期計画成果集)
- 宮城県「ブナ・ミズナラ結実状況調査(ツキノワグマ出没予測)」
- 宮城県「ツキノワグマの被害に遭わないために」
- 宮城県「県内ツキノワグマ推定個体数(案)」(令和3年8月・自然保護課)
- 林野庁四国森林管理局「四国山地におけるツキノワグマ生息調査の結果について~「はしっこプロジェクト2025」~」
- 岩手日報「2026年秋ブナの実、岩手県は「豊作」 クマに引き続き警戒 東北森林管理局予測」
- 秋田魁新報「再来年も凶作?クマ出没に警戒 ブナの実隔年周期、秋田県調査」
- nippon.com「クマ被害の急増 専門家に聞く:「もはや災害級。個体数の削減に全力を」」
- 環境省「緊急銃猟」
- 日本自然保護協会「クマ類の保護管理に関する声明」
- SOMPOインスティチュート・プラス「人口減少時代における人とクマの距離」
- 環境省|クマ類の出没情報[速報値](2026年9月9日更新)