富士山を初めて登ろうとした人が、五合目に着いた段階で引き返すことがあります。「せっかく来たのに」と感じる気持ちは自然ですが、五合目での撤退は失敗ではありません。五合目はすでに標高2,300〜2,400メートル前後(ルートによって異なります)の高地であり、そこで状態を確認し、続行か撤退かを判断すること自体が登山の正しい手順です。
この記事が答えようとする問いは一つです。「五合目に着いたとき、どんな状態なら引き返すべきか」。抽象的な「体調不良なら下山」という言葉ではなく、具体的に何を確認し、どう判断するかを整理します。
なぜ五合目が判断の分岐点になるのか
五合目より上は、傾斜が増し、酸素濃度が低くなり、気象の変化も速くなります。問題が起きても、すぐに下山できる環境ではなくなります。
五合目にいる間は、まだ舗装路や施設が近くにあります。体の状態を落ち着いて観察できる最後の場所といえます。ここで「少し変だ」と感じたまま登り始めると、六合目・七合目では判断力も体力も低下しており、撤退の決断がさらに難しくなります。五合目での撤退判断は、より上で起きるかもしれない深刻な状況を未然に防ぐための行動です。
五合目で確認する三つの状態
1. 頭痛・吐き気・めまいがあるか
五合目に着いてから30〜60分ほど休憩する間に、頭痛、吐き気、または軽いめまいが現れた場合は、高山病(高所における低酸素による体調不良)の初期症状の可能性があります。高山病は標高が上がるほど悪化しやすく、無理に登り続けると症状が重くなるリスクがあります。
頭痛があっても「軽いから大丈夫」と判断するのは危険です。五合目でこの症状が出た場合は、登頂を中止するか、少なくとも症状が完全に消えるまで休憩を続けるのが一般的な考え方です。症状が消えない、または悪化するようであれば、下山を選んでください。高山病への対処は医師に相談することが基本です。
2. 天気の実際の状態
五合目に到着した時点で、すでに雨・強風・雷・濃霧が発生している場合は、引き返す判断の根拠になります。富士山は午後になると天気が崩れやすい傾向がありますが、季節や年によって異なるため、気象庁の天気予報と山頂付近の実況を事前・当日ともに確認することが必要です。
現地でも、五合目の空の状態は重要な手がかりです。雷鳴が聞こえる、空が暗くなっている、強い風が吹いている——これらの状況で出発するのは避けてください。富士山の山頂付近は地上よりはるかに風が強く、気温も低くなります。五合目での天気が「まあ大丈夫」と感じられる状態でも、上部で急変することがあります。疑わしければ引き返す、が原則です。
3. 出発時刻と残り時間
富士山の登山道は夜間や早朝に登り、日の出前後に山頂を目指す行程が多いですが、五合目に着いた時刻によっては、そもそも時間が足りない状況があります。
ルートにもよりますが、五合目から山頂まで往復するには一般的に8〜12時間程度を見込む必要があります(個人差・ルート差があるため、最新の目安は各ルートの山小屋や管理者の情報で確認してください)。午後の遅い時間に五合目に着いた場合、下山が深夜や翌朝になる計算になります。疲労が蓄積した状態での夜間下山は転倒リスクが高まります。時間が足りないと分かった段階で引き返す判断は合理的です。
「もったいない」という気持ちをどう扱うか
登山において、「ここまで来たのだから」という感情が判断を鈍らせることは珍しくありません。これを登山用語では「サンクコスト(埋没費用)バイアス」と呼ぶこともあります。交通費や宿泊費を使った、早起きした、準備した——それらはすでに支払ったコストであり、撤退の判断とは無関係です。
五合目からの撤退は、次の登山のための判断です。無理に登って体を壊したり、遭難に至ったりすれば、次の機会は遠くなります。撤退した経験は、次回どう準備するかを考える材料になります。
撤退を決めたあとの手順
撤退を決めたら、速やかに行動してください。五合目で迷い続けることで、逆に下山のタイミングを逃すことがあります。
- 同行者がいる場合は、全員の状態を確認し、一人でも撤退すべき状態であれば全員で下山します。パーティを分けて単独行動させることはリスクが高まります。
- 五合目の施設(山小屋・売店)がある場合は、スタッフに声をかけておくと安心です。状態が悪い場合は特に、第三者に状況を知らせておくことが大切です。
- 下山ルートを確認してから動きます。登ってきた道を戻るのが基本ですが、夜間や悪天候のときは特に地図・案内板を確認してください。
- 下山後、頭痛や吐き気が続く場合は医療機関を受診することを検討してください。
撤退の判断は次の登山の準備になる
五合目で引き返した経験は、次回の計画を具体的にするための材料です。「なぜ引き返したか」を振り返ることで、高所順応(標高に体を慣らすこと)の方法、出発時刻の組み立て方、天気予報の読み方など、改善できる点が見えてきます。
たとえば、高山病の症状が出た場合、前日により低い標高に宿泊して体を慣らす「段階的な高度順応」が有効とされています。出発が遅かった場合は、前夜から麓に入るスケジュールを組む方法があります。一度の撤退は、より安全な次の挑戦への手がかりになります。
富士山の登山シーズンや開山期間、各ルートの状況は毎年変わります。登山前には、富士山の各登山道を管理する静岡県・山梨県の自治体や、各ルートの山小屋の情報を必ず確認してください。
次の行動
今季の登山を計画している場合は、富士山の各登山道を管理する自治体(静岡県・山梨県)の公式情報で、開山期間・入山規制・混雑状況を確認してください。気象庁の山岳天気予報も、出発前日と当日朝の確認が基本です。YAMATOMOの「ベースキャンプ」では経験者と交流できるため、計画段階での情報収集にも活用できます。
参考資料
- 気象庁「山の天気」
- 静岡県・山梨県 富士山登山に関する公式情報
- 警察庁「山岳遭難の概況」