登山中に事故が起きたとき、あなたを助ける側の人間が最初に必要とするのは「あなたが誰で、どこへ行く予定で、誰に連絡すればいいか」という情報です。スマートフォンが使えない状況、意識を失っている状況、バッテリーが切れている状況を想定すると、この情報を紙に書いて体に携帯しておくことの意味が具体的に見えてきます。
緊急連絡先カードは、登山届とは別のものです。登山届は入山前に行政や警察署に提出する書類ですが、緊急連絡先カードは「自分自身が肌身離さず持ち歩く個人用の一枚」です。両者を用意することは互いを代替するものではなく、救助・捜索・医療のそれぞれの場面で異なる役割を持ちます。
この記事では、カードに書くべき項目の選び方、書き方の注意点、そして実際に役立つ持ち方と管理の方法を順に整理します。
何のためのカードか——想定場面を先に確認する
緊急連絡先カードが使われる場面は、大きく三つあります。
一つ目は救助・捜索の場面です。道に迷って動けなくなったとき、救助隊や仲間が「どのルートを歩く予定だったか」「何時に下山する予定だったか」を把握していると、捜索範囲を絞れます。
二つ目は医療処置の場面です。骨折や低体温症、落石によるケガで意識が薄い場合、救急隊員や山小屋スタッフが血液型・持病・アレルギー・服用中の薬を把握しているかどうかで、初期対応が変わることがあります。医療に関する情報の取り扱いは医療従事者の判断に委ねるべきですが、情報がゼロの状態と情報がある状態では選択肢が異なります。
三つ目は家族・緊急連絡先への通知の場面です。山小屋や警察が事故を把握したとき、本人の連絡先が手元になければ、家族への連絡が遅れます。
この三つの場面を念頭に置くと、「何を書くか」の優先順位が整理されやすくなります。
書く項目——優先度の高い順に
カードは小さく、読みやすく書くことが前提です。情報を詰め込みすぎると、必要な項目を探す時間がかかります。以下を優先度の順に検討してください。
必ず書く項目
- 氏名・生年月日・血液型:医療処置の場面で最初に確認される情報です。血液型は不確かな場合は「不明」と書く方が正確です。
- 緊急連絡先の氏名と電話番号:1〜2名分。携帯電話番号と固定電話番号を両方書いておくと、圏外や電波不安定な山中からの衛星電話・無線連絡に対応できる場合があります。
- 当日の入山口・目的地・下山予定時刻:日付を含めて書きます。複数日の山行なら最終日の下山予定を明記します。
- かかりつけ医の名前と電話番号:持病がある場合は特に重要です。
状況に応じて書く項目
- 持病・既往症:高血圧、心疾患、糖尿病など、緊急時に医療処置に影響する可能性のあるものを簡潔に記します。
- 服用中の薬の名称:血液をさらさらにする薬(抗凝固薬など)は外傷処置に影響します。薬の名前が難しい場合は「お薬手帳のコピーあり」と書いてバッグに入れておく方法もあります。
- アレルギー:食物・薬剤・ハチ毒など、アナフィラキシーを起こす可能性があるものは特記します。
- 同行者の名前と連絡先:単独行でない場合、はぐれたときの捜索に役立ちます。
- 車のナンバーと駐車場所:下山後の行方不明確認に使われることがあります。
書かなくてよい項目
住所の丁目・番地など、救助や医療に直接関係しない詳細な個人情報はカードに書く必要はありません。カードを紛失したときの情報漏えいリスクも念頭に置いてください。
書き方の実務——読まれるカードにする
カードの物理的な条件として、防水性と文字の読みやすさが優先されます。
紙に書いたカードはラミネート加工するか、防水の名刺入れやジッパー付き袋に入れます。鉛筆書きは水に濡れても消えにくい利点がありますが、油性のボールペンで書いたうえでラミネートするのが最も確実です。
文字の大きさは、手袋をしたまま他人が読むことを想定してください。できれば10〜12ポイント相当の大きさで、項目名を太字にするか下線を引いて視認性を上げます。
市販の「山岳緊急連絡カード」「登山カード」と呼ばれるフォーマットを使う方法もあります。山岳会や自治体が配布しているものもあるため、入山する山域の自治体や山岳協会のウェブサイト、登山口の案内板を確認してみてください。
スマートフォンのロック画面に緊急連絡先を表示する機能(iOSの「メディカルID」、Androidの「緊急情報」など)は補助的に使えます。ただし電池切れや故障、ロック解除の手順の問題があるため、紙のカードの代替にはなりません。
持ち方——「バッグにある」では意味がない
緊急連絡先カードは、本人の体の近くに置くことが基本です。ザックの中のポーチに入れておくと、ザックを脱いで動けなくなった場面や、ザックが流されたり破損した場合に役に立たなくなります。
実用的な持ち場所の例を挙げます。
- ウエアの胸ポケットまたは内ポケット:最もアクセスしやすい場所です。ファスナー付きのポケットなら落下の心配も減ります。
- ネックポーチ(首かけ財布):パスポートケース型のものに入れて首から下げる方法は、体から離れにくく確実です。ただし岩場での引っかかりに注意が必要です。
- ヘルメットの内側:岩場やクライミングを伴うルートでは、ヘルメットに名前と連絡先を書いたシールを貼るという方法も使われます。
山行ごとに「入山口・目的地・下山予定時刻・日付」は書き直す必要があります。毎回使い回せる固定情報(氏名・血液型・持病・緊急連絡先など)と、山行ごとに更新する情報を分けて管理すると手間が減ります。たとえば、固定情報はラミネートしたカードに、当日の行程だけは付箋やメモを添える形でも対応できます。
持病や服用中の薬が変わったときは、カードも速やかに更新してください。古い情報が残っていると、かえって誤った処置につながる可能性があります。
家族・同行者との情報共有
カードを持つだけでなく、出発前に家族や同行者に行程を伝えておくことが遭難時の早期発見につながります。
家族に伝えるべき最低限の情報は、入山口・下山口・下山予定時刻・連絡が取れない場合に通報すべき窓口(最寄りの警察署や、入山する山域の自治体の山岳遭難対応窓口など)の三点です。「〇日〇時までに連絡がなかったら警察に届け出てほしい」と具体的に伝えておくと、通報の判断が早まります。
また、登山届は本人が提出するだけでなく、家族の手元にコピーを残しておくか、電子登山届のサービスを活用して共有しておくと、捜索時の情報として機能します。電子登山届については、利用する山域の都道府県警察や自治体の案内で確認してください。
次の行動
今持っているザックの中に、あなたの氏名・緊急連絡先・血液型・今日の行程が書かれた紙が入っているかどうかを確認してください。なければ、次の山行の準備と同時にカードを一枚作ることを検討してください。持病や服用中の薬がある方は、かかりつけ医に「山行中に備えるべき情報」を相談したうえで記載内容を決めることをお勧めします。YAMATOMOの登山記録共有や認定ガイドへの依頼機能も、行程の事前共有や安全確認の一助として活用できます。
参考資料
- 警察庁「山岳遭難の概況」(各年版)
- 総務省消防庁「救急・救助の現況」
- 各都道府県警察山岳遭難対策ページ
- 公益社団法人日本山岳ガイド協会 安全登山の手引き